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2005年4月16日

●vol.21:図書館の2冊

今日は週休2日な私の貴重な休日。
しかし、せっかくの休日も何もしない。テレビとネットで1日が終わる。
引きこもり&面倒くさがりな私・・・。無駄な時間の過ごし方だ。

・・・さて、昨日から人事異動で新しい人が職場にやってきた。その人たちと学生時代の話で少し盛り上がった。そのせいか、ふと、高専時代(*1)に読んだ2冊の本のことを思い出した。

正直なところ、私は読書家ではない。でも、高専時代、よく学校の図書館に通った。
司書さんとおしゃべりしたり、授業をサボるときのいい寝場所(?)だったり、何しろ居心地がよかった。
在学中に校舎が建て替えになり、図書館もすっかり様変わりして綺麗になったが、どちらかというと、昔の少し埃臭くて薄暗い方が、なんとなく図書館らしいというか、私にとっては隠れ家的な感じがして好きだったので、建て替え後は少々通う頻度が減った。卒業のご挨拶に司書さんに会いに行ったら、泣かれてしまって、もっと会いに行けばよかったかな、と思ったものだ。

こう書いてしまうと、まったく本を読んでないみたいに思われるかもしれないけど、膨大な数の本に囲まれれば、たまには読みたくなる。
学校の図書館なので、レポートの作成に役立ちそうな、工学系の専門書や参考書などがたくさんあるのはもちろんのこと、それとはまったく関係のない本もたくさんあった。当然、私の興味は後者の方。それも、ちょっと変わった方向のもの。
授業をサボっているあいだ、滅多に貸し出されることのない本が保管されている書庫にこもり、気になったタイトルの本をペラペラとめくる。ハマれば借りることなく、その場で読破するか、日を分けて読みに行った。

そんなに通ったのに、そこで読んだ本で、今でも記憶に残っているのは、たったの2冊だ。
たぶん、それは、この2冊の印象が他のものに比べ物にならない程の強烈なものだったからだろう。
1冊目は「薬菜飯店」(筒井康隆・著)。
6編ほどの短編集なのだが、私の記憶には、本のタイトルにもなっている「薬菜飯店」の内容しか記憶に残っていない。
主人公(男)が迷い込んだ薬菜飯店なる中華料理屋。そこはただの中華料理屋ではなく、薬膳料理の店だった。それがただの薬膳ではなく、一品食べるごとに、体中のいろいろな「穴」から毒素が排出される。とても食事中には読めない。おまけに、思春期の私には(@_@)なところからも・・・(ごくごく一部だけ)。とにかく摩訶不思議な世界感。あの薄暗い書庫の中だからこそ読めた気がする。

2冊目は「あっ!死んじゃった」(David P.Jones・著/永倉万治・訳)。
なんとも不謹慎なタイトルだが、なぜか手にとってしまった。十代の好奇心って本当に怖い。
100を超える、本当にあった「あっ!死んじゃった」という瞬間を集めた本。本当は笑えない話なはずなのに、あまりのあっけない瞬間の数々に思わず吹き出してしまった。あのときも、この本で笑ってしまう自分に、「いいのか?」と自問したが、今、社会に出て「死」というものが、もっと身近になってきて、なおさら、自分の倫理観を疑ってしまう。今、あの本を読んだら笑えるのか、と。しかし、リンク先でも書かれているが、「不条理」というものを教えてくれたのもこの本だと思う。間違いなく、読んで損はなかったと思う。

この2冊は、あくまで図書館で読んだ本なので、卒業してからは1度も読んでいない。
でも、それでいいような気がする。あえて、今取り寄せて読んだとしても、あの時のような想いはしないような気がする。あれから時間が経って、環境も変わり、たぶん私の頭の中もだいぶ変わってしまっただろうし。

ここ最近は、会社帰りに途中下車して、巨大書店に立ち寄り、何を探すでもなくフラフラとすることが多い。そうしているだけで、なんとなく落ち着く。思えば、高専時代のあのころと似ているような気がする。いろんなことが変わっても、やることは同じ。人間ってそんなものなのかな。

*1:高専って何?という方はvol.10を参照

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