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2006年2月 5日

●vol.93:も一つおまけに

剛さんがらみの長文記事シリーズ(?)は、この記事で打ち止めしておこう。
とりあえず、アルバム「Coward」が発売される来月1日までは。

vol.92の記事なんか、文字数が3000字を超えていた。
400字詰め原稿用紙なら8枚弱相当。結構書くなぁ自分・・・。
それは、情報源が限られていて正体が見えなかったり、いつもなら買わないような雑誌やフリーペーパーに出たり、これまでの情報収集方法では引っかからないようなところに出没しているので、12月のあの日から、「?」や「!」がいっぱいあって、胸の中に溢れて飽和状態になっていたからだと思うけど。
もともと簡潔に文章が書けず、長文書きの癖があるので、それがさらに拍車を掛けてしまったというか・・・。

さて、vol.92で、「ENDLI全肯定」を宣言し、不満の声に反論していたわけだけど、なぜ、反論するのか?
その点について、「おまけ」として書いておこうと思う。

1997年にKinKiKidsのファンになった頃、私は熱病のように、それこそ『KinKiへの想いの方が、憲さんへの想いを凌駕してしまうのではないか』という危機感まで感じてしまうほどの熱中ぶりだった。

その一方で

まずい環境に足を踏み入れてしまった

という想いがよぎっていた。

それはKinKiKidsが、ジャニーズ事務所所属のタレントだったから。
なんとなく、ジャニーズは特別な領域、というか、同じ事務所なだけなのに、ジャニーズというカテゴリがあるような、独特の文化がタレントにもファンにもあるような気がして、「外」にいる立場からすると、入りにくい感じがしていた。
おそらく、「LOVELOVEあいしてる」で音楽を勉強しても、作詞作曲に手を出すまでに至っていなかったら、いや、それ以前に、剛さんが他のアイドルと同じ程度にしか歌が歌えなかったら、見向きもしなかっただろう。
「LOVELOVEあいしてる」が土曜日23:30から放送、つまり当時とんねるずが司会をしていた「ハンマープライス」の放送後、別に何をするでもなく、テレビをつけっぱなしにしていたら、2人がいた。
それを私は勝手に「運命」だと決め付けた。

ファンになって、ネットを通じてKinKiファンの友人ができて、交流するようになって、これまでとんねるず以外のタレントのファンとの関わりがなかった私は、ものすごいカルチャーショックを受けた。
やはり、ジャニーズは特殊な領域だったのか・・・。
私は「おりる」という言葉を耳にした。(「降りる」のか「下りる」のかは不明)
例としては、これまでは先輩グループのA君のファンだったけど、ジュニアのB君におりる・・・みたいな。
じゃあ、いつか、みんなもKinKiから後輩グループにおりちゃうの?と思った。
他のタレントのファンになるのは、人間だから、趣向が変わったりするのは当然で、理解できるけど、なぜジャニーズに執着するのかがよくわからなかった。
KinKiへの想いは共有できても、ジャニーズ全般に執着する、その感覚を共有することができず、その友人たちとは疎遠になってしまった。

何年か経って、それは、ジャニーズ独自の『システム』にあるのかな、と思うようになった。
KinKiの2人も経験したように、先輩グループのバックで踊ったり、先輩のコンサートで前座をすることによって、先輩グループのファンが目を付け、注目を集めるようになって、次のステップに進む。
次のステップに進むと、先輩グループのファンが「おりて」きて、その人気は磐石なものに・・・。
ファンクラブやコンサート等のイベントの運営もシステマチックで、ファンは応援対象が変わっても、段取りそのものは変わることがない。
きっと、そのシステムが心地よくなったファンは、ジャニーズ全体の虜になっていくのかな、と思った。
カウントダウンコンサートで、どのグループにも歓声を上げられるような。
時代が変わっても、そのシステムはファンをがっちりとつかむ為の堅実な方法として、ジャニーズ事務所に根付いているのだと思った。

それはとりあえず理解したとしても、私は、今のところKinKiというか剛さんから後輩君たちにおりるつもりはない。
だって、剛さんを超える人が現れないし、それ以前の問題として、剛さんのファンをやめる為の要素が見つからない。

だって、今、最高に痛快なことをしてくれているから。
その長い歴史で培ったものを尊重しながらも、新しい「流れ」を作り出そうとしている。
長くジャニーズの世界にいるファンの人から見たら、完成され尽くした「既存のあり方」を当然に思い、立ち上がったばかりのENDLIの未熟さに我慢ならないかもしれない。
しかし、現状のままでは、剛さんをアピールしつくせない状況にあるわけで。だから、ENDLIが存在するのだ。
こんなに歴史のある事務所に所属しながら、あえてその中で新しいものを作っていこうとする、その成長過程を見守ることができるだなんて、こんなに面白いことはないんじゃないか、と思う。
剛さんがENDLIでアピールしたいのは、そこじゃないけど。

だから、私はENDLIを肯定する。
何が間違いで、何が正しいのか、そんなことは、まだわからないのだから。


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