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2006年2月 4日

●vol.92:梅の季節に舞う桜

今日の「ミュージックステーション」で、ENDLICHERI☆ENDLICHERIとしての剛さんテレビ初登場。
ENDLIの公式サイトのセルフライナーノーツで既に紹介されていた、母上とのエピソードを話していたけれど、なんだか、剛さん感極まってたような。
緊張?母上への想い?

「想いが強すぎて曲にするのが怖かった」

それだけでも「ソメイヨシノ」への思い入れは、100%とはいかないのかも知れないけど、受け取れたような気がする。
歌を聴き終わっても、震えが止まらなかった。

ソメイヨシノ」の私の抱くイメージは、眩しい位の桜の花吹雪が目の前を嵐のように過ぎ去った後の静寂と空虚感。
なぜか、歌詞のような、はらはらと散り行く花弁って感じではないのだ。
それは、何かを失うことの怖さ、からなのだろうか。
この曲を聞いて、ふと思い出したフレーズがある。

「生きることの意味、死ぬことの答え」

かつてKinKiが共演したドラマ「若葉のころ」のオープニングで流れた剛さんのナレーションだ。

・・・ENDLIくんは奇想天外、神出鬼没。

シングルが発売になったと思ったら、3月中旬から5月中旬までの64日間、横浜の特設会場で、46ステージ(毎日はできないので64ではない)のロングランコンサートをやることが発表されて、またもやバタバタと、アタフタと、この数日。

今回は、ファンクラブ先行予約は無いみたい。
ファンクラブ会員は情報が早く手に入ったけど、条件は非会員も一緒。
「ぴあ」の先行予約もあるし、25日には一般プレイガイドで販売する。

いろいろブログを浮遊していると、『ファンクラブに入っている意味が無い』とか『会場が1箇所じゃ、公式サイトでの「日本と言う大水槽に堂本剛が放つ・・・」とか言ってるのと話が違う』とか、そういう意見も見つけた。
チケット以外でも『堂本剛の名前を伏せているのに、CDジャケットに顔写真が入っているのに違和感がある』とか・・・ファンの中にもすごく戸惑ってる人がいるんだなぁ、と思った。

私はどうかっていうと、今のところ「全肯定」だ。というか、全肯定で行くことにした。
剛さんが表現したい「純然たる堂本剛」って何なのかを知るために。

ENDLIは『堂本剛が「堂本剛という人間」を表現』する為に立ち上がったものだ。
だから、「堂本剛」のビジュアルや名前を出すことは必然だと思う。
名前も顔も出さないのなら、そもそもこのプロジェクト自体やる意味は無いと思う。
ENDLIは、公式サイトで

「堂本剛自身であり、堂本剛の脳みそである」

と表現されている通り、剛さんの表現衝動の実現、これに尽きるのだから。
それに、ビジュアルを出すことについては、「商品・堂本剛」に課せられた、商業ベースでの最低限の成果を出す為には必須であろうと思う。
あくまでも商業活動なのだから、次につなげる為には、数字で成果を出さなければならない。
これを「堂本剛の名前」で売った、と世間から言われないようにするには、とにかく完成度の高い作品を世に送り続けなければならない。たぶん、これが一番大変なことだと思う。

それと、「日本と言う大水槽に・・・」という表現の意味は、

EDWINのCMとか、突然「広告サミット」に出ちゃったりとか、カフェのコースターで宣伝しちゃったりとか、これまでのジャニーズ的情報展開とは全然違う形で、みんなの身の回りに堂本剛を振りまいていくよ

と、私は認識した。
でも、こういう認識に行き着くまでは「何なの?何なの?」とずっと考えていた。
たぶん、私の頭が全肯定の方向なので、都合のいい考え方に行き着いたのかもしれないけど。
コンサートの会場が1箇所だけっていうのは、確かに残念だけど、ちょっと想像してみると、特設会場を建設するくらいだから、箱があればできるっていう表現方法ではないんじゃないか・・・?という気がする。

チケット予約にファンクラブ先行が無いなんて、ファンクラブ入っている意味がない!と思う気持ちは、とんねるちゃんのファンクラブの現状で困っている私には痛いほどよくわかる。
でも、音楽活動をする上での障壁となっている「ジャニーズだから」というフィルターを取り除くには、まず間口を広げることだ、と私は思う。
そのためには、ファンクラブの会員だけでチケットが無くなり、一般販売がされない、という状況は避けなければならないし、まずは、まだ生で「堂本剛の世界」に触れたことの無い人を多く招き入れる必要がある。
そのためには、すでにファンとなっている者が引き受けなければならない「必要な苦労」だと思っている。

これらのことは、ちゃんと意味を「わかるように」説明すればいいんだと思うけど、剛さんは、ちょっと説明がうまくないな、本当に不器用だなぁ、と思う。
コンサートでのMCやテレビ番組などでのソロ活動に関する言葉は特に「そこら辺はうまく言えばいいじゃないか」と思うことがよくある。
そのせいで、揚げ足をとられたり、考えを曲解されたり、これまでも何度もあった。
今日のMステでも「歌詞を大事にしていきたい」と言っていたけど、取りようによっては「じゃあ、今まではどうだったのよ?」と言う人もいるだろう。
あまりの後ろ向きな言葉の数々に、私も思わず「やる気あんのかよ!」と感じてしまったこともあったし。
(その後、「きっと、その言葉の裏に別の真意があるんだ」と思い直しましたけど・・・)

そこでよくあるのが、剛さんが、KinKiやジャニーズや、相方さんを否定しているのでは?という意見。
これもいろんなところで見た。
しかし、私はそうは思わない。ただ、今やりたいことが、ジャニーズの活動の前例に無かっただけだ。
相方さんが毎年ソロで舞台に立っていても、そんなに騒がれないのに、剛さんがソロでCDを出したら、「すわ解散か?」なんていわれちゃったり。
剛さんがやっていること、やりたいことは、ジャニーズの活動では「当たり前」ではなかっただけ。
視野を広く持てば、至極自然な欲求だということは、明白なのに。

剛さんのやったことは確実に後輩に根付いている。
事務所もうまくノウハウとして吸収しているのだと思う。
今年になってから、後輩グループのみなさんのソロコンサートが目白押しだ。

そして、KinKiでの剛さんは、よりKinKiKidsを強く意識していくのだろうと思う。
今年の元旦のコンサートでの最後の挨拶で「KinKiKids、そしてジャニーズファミリーは、これからも皆さんから受けた愛を倍返ししていく」(若干うろ覚え)と言った。
「ジャニーズファミリー」とあえて加えていた。こんなことは初めてだった。
少なくとも私がこれまで行ったコンサートで、こんな挨拶を剛さんの口から聞いたことは無い。
剛さんの意識がそこに表れているような気がした。

2人でいるときには、2人でいる意味をブレずに表現したい、だから、1人でいるときも、1人でいることをブレずに表現する。

ただそれだけなんじゃないか、と。

でも、こっちはとにかく大変な感じ。
今はただ、「ここまで来れるかな?」ってENDLIがどんどん気持ちよく遠くまで泳いでいくのを「はい!頑張って付いて行きます!」ってファンはバタ足して、ENDLIの放つ信号をキャッチすべく必死こいてる。
どこに行くんですかぁ?剛さぁん!!


2月って梅の季節だよね。確か。
でも、なんか私の中では桜が狂い咲きしている真っ最中な気がする。

ものすごーく長くっちゃったけど・・・最後に。
私の「ソメイヨシノ」収録曲(ソメイヨシノ自体ももちろんすごくいいけど)のオススメは通常版のみ収録の「BlueBerry」。
ファンク小僧全開!イェイ!

P.S.
vo.91に「広告サミット」のレポを掲載しているブログへのリンクを貼りました。


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