« vol.65:感謝×3!!! | メイン | Vol.66-2:ドスペ2 木梨憲武のVS(ぶいえす) その2「家田荘子VS室井佑月」 »

2005年12月11日

●Vol.66-1:ドスペ2 木梨憲武のVS(ぶいえす) その1「ラモス瑠偉VS木村和司」

もう4ヶ月も更新サボっちゃった・・・。
お詫びがてら、放送されなかった地域の方のために、そして私の備忘録として、12月10日24:30〜25:25に放送された「ドスペ2 木梨憲武のVS(ぶいえす)」の放送内容をまとめて書いちゃいます。

ちなみに、対談なのですが、会話の書き起こしが大変なので(汗)、大きなコメント以外は、文章で説明します。

<木梨憲武 六本木ヒルズへ>

自らビデオカメラを持って、テレビ朝日の局舎がある、六本木ヒルズへ。
テロップには「16年ぶりのテレビ朝日のバラエティ出演」とある。

【yoshiko注】2000年に「所・憲武・ヒロミのこんな番組ダメですか?」という番組をやっている。あれはなんだったんだ?

関係者入口に入ろうとする。
憲さん「VSっていう番組で来たんですけど」
警備員「入館証は・・・?」
憲さん入口で芸歴25年にも関わらず。入館手続き。
「所属 アライバル 氏名 木梨憲武」と書いている。
その後ろから、「その番組は、BS朝日のスタジオですよ。だから原宿ですね」と警備員。
「”相田みつを2”とか”弟4”とかの収録はやってませんかねぇ」となぜか食い下がる憲さん。
しかし、にこやかな笑顔の警備員さんに見送られて・・・。

かなり大掛かりなお約束を経て、スタジオへ。

<スタジオ:対談1 ラモス瑠偉VS木村和司>

日本リーグ時代の読売の10番(ラモス)と日産の10番(木村)の因縁の対談とあって、憲さん「やっぱり合わせないほうがよかったんじゃないかなぁ」「あのころ(日本リーグ時代)のことを思い出すと、気持ち悪くなります(笑)」などと、緊張気味。
2人を呼び込むと、ラモス・木村共に「あら、お前いたの?」などと白々しいやりとりがあり、本題へ。

ラモスが在籍していた読売とまだ大学生だった木村のいる明治大学の練習試合の時などは、ラモスがよく木村を「削って」いた。(当然反則)
「だから、読売と練習試合するのが嫌だった」と木村。
そんな2人の話を聞いている憲さんは・・・「やっぱ、2人と会いたくなかった(笑)ビスマルクと水沼さんに会いたかった(爆)」

日本リーグ時代、因縁の対決と言われた読売VS日産。あのころ、お互いに「カズシ(ラモスは木村をこう呼ぶ)を抑えれば勝てる」「ラモスに気持ちよくプレーさせてはいけない」という思いで戦っていた。しかし木村入団後の1987年から1992年まで、読売は日産に勝つことは出来なかった。
そこで木村曰く「勝つ術知ってたもん。弱かったなぁ、読売。」
ラモス「いいや、言わせておこ(爆)」

ここで、2人の伝説のプレーの数々をVTRで。
お互いのプレーを素直に「いいねぇ」などと評価する2人と憲さん。
VTRの最後に出てきたのは1992年元旦の天皇杯決勝。
同点で迎えた後半、木村が決めた1点により、日産が優勝した。
ラモス「あれまで何にもしてなかったのに!」
木村「だって、熱あったから。」(実際に40度の高熱をおしての出場だった)
ラモス「熱あったの知ってたから、後半カズシがいなくなれば楽になるな、と思って『無理しなくていいよ、出なくていいよ』ってずっと言ってたんだ」
憲さん「試合中に?(爆)」

話題は変わって・・・。
憲さん「2人ともよく走ってましたよね」。
すると「(ラモスは)走っているように見えただけ」と木村反論。
ラモス「いや『ラモスさん、鹿の様に走ってましたなぁ』って言われるよ(笑)」
しかし、木村の言いたかったのは、サボってたとかではなくて、ラモスはポイントがわかっている選手だということだった。ちなみに木村自身は「ワシは走ってなかったよ(爆)」

10番という背番号を背負うことについて。
2人とも「”わがまま”でなければつとまらない」と発言するも、木村は「自分は”我がまま”であって、”ワガママ”じゃなかった」。すると、ラモスは「いや、ワガママだよ!」と反論。そのやり取りに憲さんは笑うばかり。

日本リーグからJリーグに生まれ変わって最初の1993年のW杯予選のエピソードについて。
木村は、あの「ドーハ組」のメンバーではなかった。個人技が優れている木村のような選手よりも、中盤を走って作れる選手が求められた上、木村を選出すれば、レギュラーにしなければならないのでは、というオフト監督の思いがあったらしい。そして、ラモスと木村を一緒に使うことを躊躇したことも代表から外した要因でもあったようだ。
ラモスは、オフト監督(当時)に直接交渉していた。「一度カズシと話をして欲しい。〜中略〜(木村は)役に立ってくれるよ」と。何度か交渉したが、結局木村が代表に入ることはなかった。木村は、裏でこうした動きがあったことは知らなかった。
予選が始まった。イラン戦。ラモスは開始3分で相手選手から受けたタックルがもとで、ほとんど動くことが出来なかった。
ラモス「あのときベンチにカズシがいたら、交代できた。やはり、カズシが必要だと思ったのは間違いじゃなかったな、と思った。」
熱っぽく語るラモスの向こう側で、潤んでいた木村の目から、涙がこぼれていた。
憲さんは、それを優しい笑顔で見つめていた。

そこで、しんみりとした空気になるかと思いきや、あのイラク戦へと話題は移り、「残り15〜20分、カズシがいれば変わっていたね」とラモス。
そして木村が一言。「失敗したね、オフトは(爆)」

2人が日本の10番を託した男、日本代表の10番、中村俊輔をめぐる因縁について。
小学生時代、三ツ沢のグラウンドでボールボーイをしていた中村の憧れの選手は木村だった。後に、横浜の10番を託され気負う中村に木村は「徐々に自分の色にすればいい」と声を掛けた。
一方で、ラモスは、自身の引退試合に出場した中村に「頼んだぜ、任せたぜ」と日本の10番を託した。
「ボールを持ったときに"何かが起きる”のが10番。見ていて楽しいじゃないですか。」(木村)

おわりに・・・。
ラモスはコーチから監督へ、そして木村は?
ラモスからも「やってよ」という言葉。
憲さん「ラモちゃんがヴェルディ、和司さんがマリノス。それぞれのチームの監督になったら・・・」
ラモス「ベンチでけんかしてるでしょ」
木村「でていっちゃうよ。ピッチに(笑)」

最後は、憲さんが握手を促し(VSのルールらしい)、2人でがっちりと握手。
憲さん最後まで緊張してたみたい。楽しそうでもあったけど。
基本的に2人とも熱くて饒舌な方々なので、憲さんの出番はあんまりなかったです。

〜女流作家対決に続く〜

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://nssquare.mods.jp/mt-tb.cgi/97

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)